香川県高松市。高松港から東の方向を見れば、台形の丘のような形をした屋島という名の山がある。
高松のランドマーク、と言ってもいいであろうこの屋島は、地質学的に「メサ (mesa)」と呼ばれる地形の典型であり、およそ1400万年前に噴出して固まった溶岩の硬い層がまるで帽子をかぶっているかのように山の上部に乗っかっているために、長い年月の風雨にも侵食されずに残ってできた地形なのである。
「メサ (mesa)」とはスペイン語で「机・テーブル」という意味であり、アメリカのグランドキャニオンなどでみられるテーブルマウンテン状の地形を思い浮かべると、その形成過程がイメージし易いだろう。
県外の大学へ進学するまでの19年間、僕の日常生活の中にはいつも屋島の姿があった。自宅からも屋島が見えるし、幼稚園、小学校、中学、高校に通う通学路でも、そこにあるのが当たり前のように屋島は視界の中にあった。それゆえ、これまであえて「屋島」の存在を意識することはなかった。
意識していないつもりでも、潜在意識として自分の中に染み込んでいるのだろう。
一年に数回の帰省の際には、車窓から見慣れた屋島の姿が見えてきた瞬間に「ただいま、帰りました。」という感覚が湧いてくるのだ。県外で生活するようになって随分長い年月が経った現在でも、そのことに変わりはない。僕にとってはふるさとの山そのものだ。
やがて趣味で写真を撮るようになり、高松に帰省して昔と変わらない屋島を眺めながら「いつか屋島の写真をちゃんと撮っておきたい。」と思いながら、これまで実行することはなかった。思えば、この「ちゃんと」という言葉が僕の撮る自由を邪魔していたのかもしれない。ちゃんとした機材で、ちゃんとした場所で、ちゃんとした構図で、ちゃんとした季節・時間に、、、。これではいつまで経っても始まらない。
でもその機会は、僕にもちゃんとやってきた。
2018年12月、初冬のとても空気の透き通ったような朝。
昇ってきたばかりの太陽に赤く照らされた屋島を見たのだ。
それを写真に収めることはできなかったが、岩肌を赤く染めた「赤屋島」の光景は、葛飾北斎の浮世絵「赤富士」にも決して劣るものではなく、長いあいだ僕の中でくすぶり続けていた何かに火を付けるには十分だった。
最初は、子供の頃に見たことのある懐かしい風景を探しつつ、この場所からの眺めは昔のままだとか、ここは風景が変わってしまって残念、などというノスタルジックな気持ちで撮影していたのだが、好奇心に導かれて屋島を歩き回るうち、やがて「あれ?」と気づくことになった。
初めて目にする光景や、初めて訪れる場所の多いことに驚いた。「ここから見ると屋島はこんな形に見えるんだ。」「なぜここから見ても同じような台形に見えるんだ?」とか、洞窟があることを友人から聞いていたけれど「こんなに大きなものだったんだ。」や、「こんなに小さく見える山なのに、たくさんの登山ルートがあるんだ。」などなど。
いやはや、僕は屋島のことを知っていたつもりで、実は何も知らなかったのだ。遠くから眺めていただけで知っているつもりになっていたということらしい。
それに加えて、僕の知っていた屋島も、年月の経過とともに変化し続けている。反対に、変わっていく風景もある一方で、何十年も変わらない風景もどこかにきっとあるのだろう。
自分の中にある屋島の記憶と比べてどうかということでなく、いま目の前にある屋島がとても魅力的だということが分かった。
それが分かれば、もうあれこれと考える必要はない。
極端な話、「今日はどこに何を見に行こうか?」ということは考える必要がないということなのだ。
僕が見つけた、屋島の歩き方。
- ともかく身を置いてみる。
- そこから気の趣くままに歩き始めてみる。
- 何かとの出会いを楽しむ。
「歩く、みる、きく、撮る。」
そうしていくことで、これからも面白いものに出会えるだろう。
屋島は、昭和9年に国立公園(瀬戸内海国立公園)に指定されているだけあって、風光明媚、豊かな自然が観察できる。自然が豊かなだけではなく、歴史や文化、地質学的にもユニークな特徴が見られる。また、地域の人々の屋島との関わり方など、触れるたびに興味が湧いてきて、もっと知りたいと思うのだ。
僕が屋島で出会った光景を記録していきたい。