about

四国を歩く、見る、聞く、撮る。

 

私は、香川県高松市で生まれ育ち、大学進学から県外に出て、20数年間もの間そのまま県外で生活しています。

高松を離れて数年間のうちに、ふるさとの風景は開発によってみるみる変化し、生まれ育った土地の原風景は消滅してしまいました。フナやドジョウの泳ぐ用水路、夜な夜なウシガエルが鳴き、水草ぼうぼうでどこが水面なのか分からない気味の悪い沼、蛍の群れ、果ては荒神さんのこじんまりとして気持ちの良い空気があった鎮守の森まで開発に飲み込まれてしまいました。開発によって生活が便利になっていくのはよいことなのだろうけれど、まさか根こそぎもっていくこともなかろうにと落ち込みました。自分のふるさとはなくなってしまったものと考え、代わりに四国全体をふるさとと捉え、原風景を探して何度も四国へと旅に出ました。

家族で温泉旅行。一人で歩き遍路の旅。一人で車中泊をしながら、きまぐれにあちこち写真撮影をしてまわる旅。。。そしていまでも四国のあちこちに美しい里山の風景が残っていることに気づくことができました。嬉しく思いました。

最近になってようやく、私のふるさとの風景の何から何まで失われたというのは、思い込みの勘違いであったと気づきました。

人です。人との交流のなかにふるさとはありました。今年の春に父親が亡くなり、さまざまな手続きや法要のため、毎月のように実家に帰っています。親戚の人たちと交流する機会が増えました。従来であれば、帰省した際に挨拶を交わす程度だったのに、いまではゆっくりと時間をかけて話をすることが多くなり、以前よりもお互いの理解が深まってきたように感じています。親戚や近所の人たちが私に声をかけてくださるのは、父親の人徳であることを忘れてはなりません。

また、同級生と会う機会も増え、地元高松で生活している彼らの頑張りを見聞きするにつれ刺激を受け、やっぱり自分のふるさとは高松なのだと、そしてまたいつかここに戻ってきたいと思えるようになりました。。。

今後は、自分のふるさとをただ懐かしむという個人的な感情を手放し、いまの高松、そしていまの四国のことを知りたい。私がこれから出会うであろう風景に、ありのまま接していきたいと思います。

自分のまだ知らない世界はきっと自分の足元にこそある。

だから私は、四国を歩く、見る、聞く、撮る。

そこに何が見えてくるのだろうか?

20181231