002 歩き遍路で四国に大きな円を描こう

「そうだ、いまこそ、お遍路に出よう!」

と決心したら、心が前向きになった。単純なものである。

旅に出よう!と決めたその瞬間から、旅はもう始まっている。

さっそく書店で本を買ったり、図書館、ネットなどを使って今の四国八十八ヶ所参りを取り巻く環境について調べてみた。

四国八十八ケ所巡礼の交通手段には、徒歩、ラン(走って)、自転車、バイク、自家用車、バス、ヒッチハイク、リヤカー、その他公共交通機関を組み合わせて、等々なんでもありだ。竹馬(たけうま)で巡った人もいたらしい。

巡礼の順序や方法もさまざまで、時計回りに巡る「順打ち」、その反対方向に巡る「逆打ち」、1回の旅で全部の札所を巡る「通し打ち」、何回かに分けて巡る「区切り打ち」、四国四県のうちひとつの県内のお寺を巡っていく「一国めぐり」、ある特定の御本尊が祀られているお寺を選んで巡ったり、88ヶ所のお寺以外の「別格霊場」「番外霊場」を巡ったり、その他実にバラエティに富んだ選択肢がある。こうでなければならない、というきまりはない。

数多くの選択肢の中からひとつ選ぶ時には、「自分の目的が何なのか?をしっかりと持っておくこと。」が大事だと思う。

それにもかかわらず、、、

僕の心の声:

「よっしゃ、歩きで行くけんの。」

「区切り打ちで何年かかるか分からんけど、大阪から高速バスや鉄道、時には飛行機や船を使ってのアクセスもありやろ。」

「徳島は高速バスで行ったら近いし、高松(香川県)は、実家を拠点にできるしの。」

「汽車が走んりょらん室戸岬や足摺岬のあたりなんかどななるんやろ? 途中で区切れんやろけん、一気にいかないかんわのー。」

「えーい、ほんだけどなんとかなるわ。」

「土日に有給休暇を合わせてちょっとずつ進んでいっきょったら何年かかるんか知らんけど、とにかくやってみよ!」

と、歩き遍路の旅にすることを、なかば勢いで決心したのだった。

僕が、僕のふるさと讃岐の国(香川県)を離れて20年以上が経った今、もはや「讃岐弁」を日常生活で使うことはほとんどない。

讃岐弁で物事を考えたり、讃岐弁で話したりするのは、実家に帰省した時や、同郷の友人と話をする時ぐらいのものである。

そのことを考えるとその時の僕は、感情的になって冷静さを欠いていたのではないかと思われるのだが、大丈夫だろうかこの判断は?

でもとにかくやってみよう。こんなにワクワクできること、他にないじゃないか。

なかば「勢い」で決心したのではなく、「インスピレーション(ひらめき)」が降りてきたのだと考えることにしよう。

歩き繋いで四国に大きな円を描く。何年かかっても構わない。

この旅を通して生き方のヒントを見つけたいのだ。

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