お遍路に出る理由(はじめに/目次)

はじめに

四国に生まれ育った僕にとって、物心ついた頃から四国遍路(お四国まいり)はあこがれの旅だった。
本家(祖母の家)の仏壇のそばの床の間には、四国八十八ヶ所の御朱印の掛け軸がかけられていた。
中心に描かれた弘法大師空海を取り囲むように各寺の御朱印と墨書がひとつひとつ丁寧に記されている。全ての札所を巡って納経をしたという証だ。朱色の御朱印と漆黒の墨書との強烈なコントラスト。碁盤の目のように整然と配置されたそれら全てが一体となって、まるで宇宙が形づくられているかのよう。

幼い頃の僕はこれを前にして、掛け軸の幅と高さの物理的なサイズををはるかに凌ぐ、感覚的な大きさを感じていた。
僕は幼い頃にこれを見るたび「かっこいいな」と思ってじっと眺めていた。実際それは、カッコいいだけではなく、引き込まれてしまうような魅力を持っているのだ。

お正月には、家族で自宅近くの屋島寺や八栗寺などの札所のお寺に初詣に行くのが定番だった。幼い頃のそうした経験からだろう、お寺の雰囲気やお線香の香りに心が落ち着いたり、安心感のようなものを覚えるのは。
伯父をはじめ、従兄たちの旅の話を聞かされるにつれ、いつか自分もお四国まいりの旅に出たいと思ったのはごく自然なことだったと思う。

実のところ、四国の人々は多かれ少なかれ、いつか自分も四国八十八ケ所の巡礼に出たいものだと思っているのである。僕の同級生たちと会って話を聞いていると、ほとんどの人はその通り、「俺もいつか行きたいと思っとんよー。」などと言っている。
多かれ少なかれ、みんな僕と同じように、幼い頃からの経験や、周りの人たちから見聞きした、なにか文化的なバックグラウンドを持ち合わせているのではないかと思われるのだ。

ただ、きっかけがない。それゆえに、実際に八十八ケ所きちんと回ったことがある人は、アラフォー世代でも一割以下であろうと思われる。

僕は大学生の頃、実家に帰省の折、ふと思い立って巡礼用具一式(御朱印帳、掛軸、白衣、納め札、数珠など)を揃えて一番札所から七番札所までまわったことがあった。車で半日の行程だった。
しかしながら、それ以降が続かず、ほったらかしにしたまま20年が経ってしまった。
なぜあの時、ふと思い立ってお遍路をしようと考えたのか、いまとなっては思い出すことができない。

目次

001 僕がお遍路に出た理由

002 歩き遍路で四国に大きな円を描こう

003 住宅から聞こえてきた子供の遊び声に「幸せとは?」のヒントが

004 「おはようございます」が僕に元気をくれる

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